例年より約1時遅れての開花となりました。
3月末までの梅花の季節です。
梅の見頃はツボミからとなります。
梅開花状況の問い合わせについて。
第1期(2月上旬、10日~15日)
寒気未だ緩まない2月、高傳寺受付から右前方、楠の木脇の白梅が春を告げる。
今年はこの時期に雪となり、某新聞社取材による「梅花一番」の記事になった。
若干の補足をすると、「雪中梅花」の醍醐味となる。
根本を雪で包み、枝を雪で覆って花と一如する寒梅の風情となった。
古人は梅に”清貧”と別格の権威を付与をして惜しまない。
万葉集に梅だけが多く詠まれる所以であろう。我々の感性に響くのであろうか。
近年は中国や他のアシア諸国から訪れる人も少なくない。
”清貧”確かに花をつける前の梅の木には一枚の葉っぱさえ無く枯れ木のようである。
「雪中梅花」とは梅だけが確約する春のギャランティー(保証書)のようなものなのであろう。
第2期(2月中旬、15日~25日)
紅白の時節。少し穏やかな春気に紅梅が咲き始める。
多くの人が最も期待する華やぎとなる。同時に早咲きの白梅が散り始める。
第3期(2月下旬~3月中旬)
霊徳寿の時節。
陽春、高傳寺の梅花参詣は佐賀市天然記念物「霊徳寿梅」をもって終える。
10年程前の事になろうか。東京都の青梅市が管理する(梅公園?)の数千本の梅の木が病気の為に伐採され新たに苗木が植えられると言うNHKニュースの記憶がある。その時に梅の寿命が60年と言うことも伝えらた。
梅の寿命に関する基準の根拠はわからない。管理する行政の立場からすれば現実的な事であろう。
環境の変化は梅の木にも少なからずの影響を与えている。
平成20年樹齢400年と言はれる佐賀市天然記念物【霊徳寿】の本幹が伐採されたが脇幹によって往時と変わらぬ大輪の花を咲かせている。ゆっくりとした春はこの木と共に終える。
入門から受付までの中間、右側にもしかしたら桃ではないか?と思えるような紅梅の木がある。
観梅に季節は此の梅の木の満開で終える。
このアップデートの記事は毎年、梅の見頃についての問い合わせに困惑する者の思いで綴られている。
実際には日々変化する梅花について言葉ではなく看る人の心でしか伝わらない事は言うまでもない事です。
敢えて高傳寺の梅の見頃を問われるとすれば1期、2期、3期はしばらく置いてから、
「貴方の都合良きその日、梅花参詣の最良の日であろうか。」となりましょう。
平成29年2月24日
高傳寺
29年3月1日撮影
高傳寺初咲の白梅
2月5日頃の咲き始めの感じですが、終わりました。
29年3月1日撮影
紅梅の身頃です。
(霊徳寿梅)
29年3月1日撮影
紅梅の身頃です。
29年3月1日撮影
紅梅の身頃です。
梅の時節を迎えて。
”佐賀の春は高傳寺から”
梅参詣の時期を迎えての準備はいつもながら万全と言い難いものですが、歴史を語る梅に励まされる日々でもあります。
扨、佐賀市においては平成27年より本年度にかけて鍋島報効会主催による企画展が開催されている。
幕藩体制下に於いて肥前佐賀の政治権力の機構を確立した2代藩主光茂とその子孫(3代綱茂、4代吉茂、5代宗茂)と日本の近代化を担った10代藩主直正のリーダシップを歴史的な存在として顕彰するものである。
高傳寺の梅の時節を迎えて歴史の(記憶と忘却)が呼吸となった其処にこそ真の歴史の存在意義あります。
鍋島藩(佐賀)幕末の思想家・枝吉神陽の功績と存在が忘れ去られてはならない。
萩の吉田松陰を歴史的人物として知る人は多い。彼をして枝吉神陽の思想と実践の継承者と称すべきであろう。
枝吉神陽は副島種臣と共に高傳寺に眠っている。
平成29年1月19日
高傳寺
本年の梅の花は後期に入り(霊徳寿)が満開を迎えようとしています。 高傳寺の春は10日頃までが見頃のようです。
先月の大雪(雪中梅花)の世界は圧巻でした。
本日の高傳寺早梅の木です。
次回の情報は1週間後の予定です。
いよいよ霊徳壽梅の季節となりました。
今年の霊徳壽梅の開花は少し早いようです。
霊徳寿梅がほぼ満開となりました。
満開の霊徳寿梅(画像)も良いのですが、3,4日前の蕾の霊徳寿梅は圧巻でした。
是非観て頂きたいところです。
白梅・・・ようやく見頃になってきました。 紅梅・・・早咲きは咲き、蕾の紅梅はこれから、白梅と紅梅の蕾は寒春の清白丹。 霊徳寿梅(樹齢400年、佐賀市天然記念樹)3月中旬~下旬 ・この老梅はほかの梅が終えてから満開となる今が見頃。