高傳寺は天文21年(1552)に鍋島清房が創建し旧藩主鍋島家の菩提寺であった寺です。
山号を恵日山といい、曹洞宗の古刹であり、肥前佐賀の歴史を刻んだ龍造寺家、鍋島家、両家の“祖霊の里”として知られています。
明治4年(1871)に佐賀藩最後の藩主鍋島直大が、散在していた鍋島家の先祖の墓、また戦国時代に佐賀を治めていた龍造寺家の墓を高伝寺に集め、整備を行ったものです。
また、明治33年に本堂、山門の再建がなされました。広い墓所と、そこに並ぶ数百におよぶ石燈篭、大きな墓石は藩政時代の隆盛をしのばせるに十分なものです。
楼門に高くかかげられた「慧日山」の扁額は有名な即非禅師(明国の僧)の筆で、古書を愛する人の目にとまっています。
鍋島勝茂公が亡き父君(直茂公)と母君(陽泰院殿)の菩提を弔うために奉祀された、釈迦三尊像が安置されている、お堂です。
本堂内にございます。
観音堂には、住職 39世盧道石能大和尚が、四国33か所の霊場を回り、それぞれの本尊仏を摸刻させた仏像と、各霊場の土を集めたものがまつってあります。
国内最大の涅槃図であり、日本でただ二つの大変貴重なものです。
(佐賀市指定文化財)
墓所の正面と東側一帯は龍造寺隆信をはじめ龍造寺正統、西側一帯には鍋島家正統の墓碑が並んでおります。
境内には約700本の梅の木があります。中でも「霊徳寿梅と名付けられた樹齢約400年の老梅が見どころです。
仏陀が藍毘尼園で誕生された時に、周りを七歩し、右手を上に左手を下にして、「天上天下唯我独尊」と唱えたときのお姿です。
十王が極楽行か地獄行かの判定をする話は、十王信仰と呼ばれ、10世紀ごろ道教との融合で生まれました。
絵は肥前の絵師大木英鉄の筆です。
毎週水曜日 午前5時半より高傳寺本堂にて